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淀み~人生における流れとは

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ここ数日、いろいろと思うことが多かったんですけど、実生活でも何かと考えさせられる事柄が同時に発生するのもありがちなことであります。
とりあえず、人生の半分は生きたかな、と思うような年齢に達し、人生には一種の周期が存在することを実感してます。
人生における春夏秋冬、12年の区切りとは別に、現在何度目かの初春を経験中のような状況です。

特に居住地。
今の居住地は人生において6か7回目の移動にて落ち着いた場所でありますが、毎回引っ越しのタイミングを知るきっかけ、というものがありましてね。
新天地を求める前に、なぜ退去することを決めるか。
多いのが学業を終えた、もしくは仕事を変えた、などの理由で移動を要したという理由。
そんな理由の他に、自分には過去2回ほど具体的な理由なしに住居を変えたという経験があります。

住み慣れると、自分の家(賃貸よ)というのは何かしら安心感をもたらす、落ち着く場所なのではないでしょうか。
自分に関して言うと、できるだけ長く暮らしたい、という気持ちで最初に住み着きます。
20代の当時、仕事も決まって意気揚々と新居を見つけ、立地も便利で築3年目ほどの割と小奇麗なマンションに引っ越したわけですが、お隣や近隣住民・商店とも仲良くなり新居生活は毎日とても幸福なものだったこと、今でも時々思い出します。
暮らし始めて5年が経過した頃、エレベーターを降りると裏の駐車場が見えるガラス張りの窓が粉々に割られており、不審に思うも管理会社がすぐに修理するので特に気に留めずにおりました。
ところが、それから何回か同じように窓が割られ、これは故意に行われていると確信するに至り、同じフロアの顔なじみの住民とも物騒だ、と話すことがありました。

ある日の正午、同じエレベーターに乗り込んだ不審な男(間違いなく健常者ではない雰囲気)に「看護婦さんですか?」と声を掛けられ、ちょっと話し方や目つきに不信感が湧き、「いいえ、違います、友達を訪ねてきたんです」と嘘の返答をし冷たくあしらったところ、自分のフロアで降りた後もエレベーターのドアを閉めず、自分の入る部屋を見届けようとしてるので別の住人の部屋のインターフォンを鳴らす。
(この部屋は空き部屋)
この翌日、エレベーター内に自分が友人を装った部屋の番号で住民を罵るイタズラ書きがありびびる。
※しかし咄嗟のこととはいえ、自分はこういった空気にとても敏感なのでアドリブは割と効く方であります。
管理会社に確認するも、前年に管理会社も変わっており対応が超ずさんで頼りにならず。

この後、同じフロア前室の学生にマイちゃりを盗まれそうになったり(部屋に運び込もうとしてるところ現行犯で捕まえる)エントランスホールの窓ガラスが割られることは日常となり、割れたまま放置されてるし、近所の懇意にしてた本屋の老夫婦も不景気という理由で店仕舞いされる、等いろんなことが重なって毎日がちょっと欝蒼としておりました。
そんなとき、土曜にいつもの食糧買出しから帰って我が家(マンション)を外からしげしげと眺め感じたのが淀み、であります。
なんて言うんだろう、今まで感じていた空気と違う、重い流れというか。
息苦しい、別に目に見えるものではないんですが、自分の部屋に帰っても落ち着くことができない空気。
自分自身も私生活でいろいろと悩みの多かった時期でもありますが。
その淀みを感じた次の週、不動産業者にて新しい物件を調べて翌々月に引っ越したと記憶してます。(若いからフットワークも軽かったなぁ)
家賃はちょっと上がりましたが、1ルームではなく2DKと広く快適。
そのマンションも結局は1年足らずで退職をきっかけに去ることになりましたけど、それでも引っ越したお陰で精神的に救われた、と今は思い返します。

2度目は今の街に引っ越して来て初めて暮らした新市街のアパート。
ここを去ったきっかけは就職でしたけど、このアパートも1年間暮らしたわけですが後半は淀みを感じて苛まれました。

この淀み。
うまく説明できないんですね、言葉では。
突然に感じることもあります、まるで自分の暮らし慣れた部屋ではないような感じに驚くこともあります。
なんで今回このような話を書いているかというと、昨晩帰宅途中に自転車に乗った小学高学年の二人の男児、うちひとりは知的障害児なのですが、あわよくば警察沙汰にしてもいいような一件に遭い、商店のオッサンにお世話になりました。
(こういう時は商店に駆け込むのが一番です)
この障害児、線路を渡った向こう側に住んでること、以前から何度か見かけていたので知ってはいましたが、通行人に罵声を浴びせたり、アグレッシブな知的障害児、と感じます。
今回は自転車で後ろから轢かれそうになったので、大声で「警察呼ぶぞ、こら」と脅かし、商店のオッサンの出現で逃げて行きましたが生まれて初めての危機感、を感じました。
(小学生とはいえ私よりも体格はイイのよ)
商店のオッサンは知ってる子のようで、今度脅かしておくから、と警察へ行くことは薦めない、と。
翌日になって、この知的障害児の住まうアパートを見つけ、管理人に相談するも、老婦人曰く「父親も同じような障害が多少あって、子供は何度も苦情を受けるも理解力がない」とか。
しかも、この子の両親はアパートに住込みで掃除や使い走りをする、要は低所得者典型の夫婦で、この国にはよくある話なんですが、こういった住込み一家はアパートの地下階に暮らし、アパート住民からの管理費を給与として雑務をこなす職業にあります。
田舎から都会に出てきた移住者なども多く、あまり教養があるとは思えず。
今回遭遇したこの子の一家も同じく、私の予想では田舎で今も多い近親婚(イトコ同士の結婚は割とポピュラー)ではないかと思われ、知的障害者の生まれる可能性は通常よりも高めと思われます。
商店のオッサン曰く、もう既に警察に通報してる被害者もいるようです。
なのにこの子には何の変化も反省もなく、日増しにアグレッシブになる一方ではないかと察します。
あと5年もしたら子供とは言えないでしょう、ナイフなど持ち歩いたらどうなるのか、正直本当に懸念します。

今回の淀み、自分が心底愛する我が町の治安に感じたわけです。
一昔前のような平安を感じられないのはなぜか。
我々はこうやって流れの中で生きていると思うと、いつこの流れを妨げるものが発生してもおかしくはなく、流れが変わったり、ときには澱んだりするものだと思います。
ただ、この淀みというのはある意味休息する流れの緩い部分でもあるかと思うんです。
上の画像は「淀み」で画像検索したんですけどね、この鳥は淀みで休息してるような感じもします。
ときに悪いものが溜まる可能性も多いのですが、今この年齢に達した自分としてはこの淀みをある種の緩和状態と捉えてみてはどうかな、と。

淀みを抜けるタイミングは間違いなく気が付けるはず、と思ってます。
年齢的に昔よりも腰が重かったり、いろいろと気苦労を懸念すると一歩踏み出せない可能性もありますが、また清い流れに乗るために、間違った行動をとらぬよう気をつけたいと思います。
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by efendi | 2012-03-06 03:54 | 未分類