日常というもの
大きな波を目前に控え、あえて冷静に日常を考え直そうとしてる自分です。
毎日変わらない日常、人はそう思いがちですが日常というのは常に変化するものではないかとついつい詩的な考え方に浸るわけです。
作っては壊し、壊しては作るというのも何か流れのようで意味のあることかな、と。
自分の意図したこととは別に変えられてしまう日常というものもあります。
身近な人を失ったり、見慣れた風景が失われたり、乗り慣れた自転車が誰かに盗まれたり、人はやはり悲しい気持ちになるものです。
救いなのは時間は常に過ぎていく、ということでしょうか。
日にち薬、という言葉がありますが時を待つことができる人間になりたい、と常日頃思うんですねぇ。
さて、前置きは長くなりましたが我が家に気が向くと立ち寄るこの方を眺めてると、ついつい上記のようなことを考えてしまうんですな。
喉かな寝姿がこのところ大変心の救い、ですかな。 こやつが寝てる最中に台所で調理、今回は鶏の胸肉を使った野菜巻き。 こういうシンプルな和食は良いですな、ご飯には黒ゴマと桜海老。
寝っぱなしのチェリーを横目に日常生活の何たるかを考え中です。
毎日変わらない日常、人はそう思いがちですが日常というのは常に変化するものではないかとついつい詩的な考え方に浸るわけです。
作っては壊し、壊しては作るというのも何か流れのようで意味のあることかな、と。
自分の意図したこととは別に変えられてしまう日常というものもあります。
身近な人を失ったり、見慣れた風景が失われたり、乗り慣れた自転車が誰かに盗まれたり、人はやはり悲しい気持ちになるものです。
救いなのは時間は常に過ぎていく、ということでしょうか。
日にち薬、という言葉がありますが時を待つことができる人間になりたい、と常日頃思うんですねぇ。
さて、前置きは長くなりましたが我が家に気が向くと立ち寄るこの方を眺めてると、ついつい上記のようなことを考えてしまうんですな。
喉かな寝姿がこのところ大変心の救い、ですかな。
寝っぱなしのチェリーを横目に日常生活の何たるかを考え中です。
by efendi
| 2011-04-05 02:33
| 生活